「移籍」という選択
- 菊谷 崇
- 6 分前
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私は2014年に移籍を経験しました。
当時、「移籍」というチーム間の移動にはあまり良い印象がなく、一昔前の「入社したら定年まで同じ会社で勤め上げる」といった風潮と同様に、ラグビー部に入部したらそのチームで『引退』までプレーするのが当然のことだと考えられていました。
ちなみにラグビー界には「クリアランスレター」という用紙があり、チーム間を移動する際には、所属チーム、地域協会、日本ラグビー協会の承認(サイン)が必要になります。これは海外移籍や海外留学(短期含む)の場合も同様に適用されます。
私が移籍を決意した2014年当時、移籍制度は主に海外のプロ選手が利用するもので、日本人選手の多くは企業に所属する「社員選手」として活動しており、「プロ選手」という立場ではありませんでした。そのため、契約年数という概念も存在せず、移籍=(退職+転職)という構図が当たり前のように存在していました。
この流れの中では、本人の意思があれば移籍(退職+転職)は可能に思えますが、実際にはそう簡単ではありませんでした。当時の日本ラグビー界では、社員選手を多く抱える日本協会が「リリース権」(正式名称は不明)を行使し、つまり、クリアランスレターを発行しないという手段を容認していたのです。
このクリアランスレターが発行されないと、仮にチームを移動しても1年間は公式戦に出場することができません。これは選手生命にとって非常に大きなダメージとなります。選手としての未来を左右するような制度が、当時は当たり前のように運用されていたのです。
私自身、トヨタ自動車株式会社で社員選手として活動していましたが、選手生活の晩年に「新しいキャリアを切り拓くために移籍しよう」と決意しました。
しかし、そこからが本当の「移籍」との闘いの始まりでした。
当時、日本代表選手として活動しており、トヨタの“顔”でもあった私の移籍に対し、トヨタの関係者はあらゆる手段を使って移籍を阻止しようとしました。その一つが、まさに「リリース権」の行使です。
選手としての晩年に、1年間も試合に出られないということは、プロとして非常に大きなリスクです。試合に出場できない選手に報酬を支払うチームは、どこにもありません。「トヨタに残っていた方が絶対に安泰だ」「お前のためを思って言っているんだ」と、私の意思を受け入れてもらえず、「気持ちは分かった。こちらでもう一度検討するから待ってくれ」と期限を引き延ばされ、諦めさせようとする場面もありました。
当時、移籍というものが非常に難しい時代だったと実感しています。
私は「海外挑戦」という名目で、イングランドのサラセンズというチームへ移籍し、そのためのクリアランスレターを書いてもらいました。そしてサラセンズでのプレーを経て、帰国後受入てくれるキヤノンイーグルスへクリアランスレターを経由して移籍する、という一手間をかけて、ようやく国内移籍が実現しました。
過去の移籍経験者として、現役選手の皆さんにお伝えしたいのは、私は「移籍によって環境が変わり、大きな学びがあった」と実感しています。ですから、個人的には移籍には大いに賛成です。
ただし、忘れてはいけないのは「移籍が自分のキャリアにとってどのような意味を持つのか」をしっかり考えることです。
・キャリアをどう描くのか?
・何のための移籍か?
・自分が動ける立場であれば、“いつ”動くのか?
出場機会を求めて、あるいは年収アップのために移籍を考えることも、もちろん大事な要素です。でもそれだけでなく、「キャリア設計の中で何を実現するための移籍なのか」を明確にしておくことが、長い目で見たときに大切だと、私は感じています。
長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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