30年。
- 冨岡耕児
- 1月17日
- 読了時間: 3分
阪神・淡路大震災から30年が経ちました。
1995年1月17日に発生したこの震災は、6,434人の尊い命を奪い、街を廃墟と化しました。当時、中学2年生で大阪に住んでいた私は、家の前の国道を100台以上の救急車や消防車、パトカーがサイレンを鳴らしながら神戸方面へ向かう異様な光景を呆然と見つめていたことを鮮明に覚えています。
震災は何の前触れもなく、大切なものを奪っていきます。私の身近な例として、よく行く居酒屋の常連仲間である佐々木さん(76歳)は、震災で奥様と娘さんを亡くされました。京都大学を卒業し、弁護士として活躍され、剣道を長年続けてきた佐々木さんは、厳格で頑固な印象の方です。いつも一人でカウンターの端に座り、静かに飲んでるので、私が「先生!」と声をかけると、少し嬉しそうに「なんや、またお前か」と言いながらも、目線を隣の椅子に向け隣の席に来いと合図してくれるんです。
実は佐々木先生は大学ラグビーが大好きで、いつも楽しくお酒を飲みながら大学ラグビーの話で2時間ほど盛り上がるのがいつもの先生と私の時間の過ごし方なんです。
しかし、先生の目の奥から常に寂しさを感じるんです。失われたものの大きさを。震災で失われた家族や生活は、何年経とうとも二度と戻ってこないんだと。今ここにある当たり前のものが、実は当たり前ではないと痛感させられます。
一方、そんな震災からの復興において、スポーツは地域社会にさまざまな影響を与えてきました。地元神戸では、コベルコ神戸スティーラーズやヴィッセル神戸などプロスポーツチームが被災された方々と寄り添い、共に歩みを進めています。
今朝のスティーラーズのSNSでは朝5時45分から震災復興イベントに参加している様子がアップされていました。また、東日本大震災の被災地である釜石では、釜石シーウェイブスが復興のシンボルとして地域の方々の心の支えとなっています。
災害大国である日本において、災害の発生を完全に防ぐことはできませんが、プロスポーツが全国に普及しつつある現在、スポーツが地域社会で果たすべき役割はますます重要となっているように感じます。スポーツの垣根を越え、全体の結束を高め、有事を想定したスポーツの意義を、この機会に今一度問い直す必要があるように感じます。
たとえば、地震を経験したことのない外国人労働者や外国人選手、観光客、その家族が増加する中で、言語や緊急時の対応が適切に行えるのかなど、これらの課題にスポーツやプロスポーツチームが果たせる役割もたくさんあるように思います。
阪神・淡路大震災のような都市部での地震においても、30年前と現在では状況が大きく変わっています。地方と都市部でも事情は異なり、南海トラフ地震が30年以内に発生すると予測される中、想定では33万人の死者・行方不明者が出るとされています。これは東日本大震災の15倍以上の被害規模です。少子高齢化が進む中、有事の際に人手不足で人的支援が間に合うのか、AIやデジタル化でカバーできる部分はあるものの、限界もあります。
30年後のスポーツの未来を見据え、風化させていくのではなく、新たに私たちは今、何をすべきかを真剣に考える時期に来ているのかもしれません。
33万を0に。
不可能と思われきたことを可能にするラグビーだからこそ、絵空事ではなくできることはあるかも知れません。
阪神淡路大震災で犠牲となられた全ての皆さまに、哀悼の意を表明します。
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